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2007-07-20

で、続きなのですが 想像ですよ

10年くらい前でしょうか、天童に有る将棋博物館に始めていった時。
名人と言われる人たちが作った駒を展示しているコーナーで、動けなくなった記憶が有ります。

一つは駒の綺麗さ、格好良さなのですが、心に響いたのは、製作者の多くが平成に入って亡くなっていると言うことです。
その時、なんだか訳の解らない焦燥感に駆られました

天童の博物館に飾られている人たちの駒は、似たような書体が有りません。それぞれが独自の最も美しいと思う書体で書いていて、どれも全然違うのですが、それぞれ完成され尽くした、まさしく枯れた美しさが有ります。

将棋の駒は、天童で冬場の内職として作られた様です。
当然今のような自体を彫る機械も無かったので、出稼ぎに行くか、うちに残って将棋の駒を彫るか
当然下手な人の駒は安かったり売れ残ったりしたと思います。
書体だって完成する前は、今のように手本も無かったでしょうから、沢山の失敗が有ったり、嫌な思いも有ったと思います。

兎にも角にも生活の為に鍛えられた技術と言うことです。
将棋の駒を彫り、そのお金で家族を養い子供を学校に入れると言うこと、駒の一彫りに、製作者の本気の本気の濃密な時間が注がれていると言う事だと思います。これは皆さんだって形は違っても生活の為に一生懸命頑張っているのは一緒ですから、解って頂けると思いますが

その製作者の方々の年表を見ると、多くが平成に入って幕を閉じています

将棋の駒の話しでしたけれども、実はこれは、日本の伝統産業全てに言えることだと思うのです。
僕たちは今、時代の大きな過渡期に立っているのでは無いでしょうか

例えば僕が今から駒職人になって、人生を捧げて道を究めようとしても、戦後や高度成長期の時代を生き抜いてきた背景までは、まね出来ないと思うのです
(その代わりもしかしたら、今まで無かった画期的な物ができちゃったりするかもしれませんけど)

材料の御蔵島の柘植も良い物は殆ど無いようですし、プロの彫った将棋の駒も、もう手に入らなくなるでしょう

といっても、有名な物は既に数百万円で、詳しい知識も有りませんので、僕は買えませんが、僕の代わりに買う方、どうぞ、作成者の生きた時代や、その駒で学校に行って一人前になったと思われる家族の人生までも勝手に思を馳せ楽しんでください

ちなみに日向産本榧の将棋の盤も凄いですね、今ならまだ高級車一台くらいで買えるので、変な株を買って青ざめるより良いと思いますよ
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